物事は多数決で決まる
世の中は多数決でできている。多数決で決まったことを「正解」と呼ぶことにしよう。たとえどんなに正しいことを言っていても、多数決で票を集められなかったら「不正解」となる。ここまではOKだろう。
安楽死する安楽死
そこで表題の安楽死についてなんだけれども。現状、安楽死に関する世論はどこの国でも大概五分五分か、やや安楽死賛成に偏っている。日本の厚生労働省の調査では約57%が安楽死賛成であるという調査結果もある(p28、一般国民の項)。では安楽死は正解ではないか?と思うかもしれないが、単純な話ではない。
では国民の57%の賛成をもって安楽死を認める法案ができたらどうなるか。安楽死に賛成した人間は安楽死によって徐々に数を減らしていく。安楽死に反対する人は残り続けるとする。有権者の14%にあたる人が安楽死によって投票権を失った時、安楽死による世論は逆転する。つまり安楽死が実行されればされるほど不正解に近づいていくという不思議なパラドックスがある。これを仮に破滅する論理と名付けておく。流石に14%の人が死ぬというのは相当時間のかかる話ではあるが、絶望的な状況になっても死を選らばない人種が生き残っていくのである。
現段階でちらほらと安楽死を認めている国は存在しているが、どれも状況が限定的であるし、歴史が浅く定着しているとは言い難い。安楽死という概念は長い年月をかけておだやかに安楽死していくのである。
僕も安楽死に関しては正しいと思っている。人間の人間たるゆえんは明晰な思考力であり、その思考力が失われる脳死や植物状態、認知症、重度の統合失調症、重度の薬物依存症は死んでいるといって差し支えないと思うし、自分がもしそういうようになっていたら安楽死してほしいと願う。ただ安楽死を認めるといずれ自分が少数派になってしまう。悩ましい。
それの妥協案が条件付きでの安楽死の許可なんだろうね。末期がんとか脳死とかALSとか。でも自分がもうほとんど死んだような状態で、死にたいとも意思表示できなくなったときに、条件付きだと安楽死させてもらえる保証なんてどこにもないんだよね。
至る所にある「破滅する論理」
実は他にも似たような現象が起こりうるシーンが存在する。有名なところではデイヴィット・ベネターが著わした『生まれてこないほうが良かった: 存在してしまうことの害悪』で語られる反出生主義がある。彼はよく誤解されるのだが、生まれてこなければよかったという親ガチャを外したメンヘラの代弁をしたわけではなく、「人類は一刻も早く絶滅すべきである」というとんでもなくデカい理論なのである。
彼は著書の中であらゆる反論に対して論理的で完璧な回答をしており、彼の論理は正しいのである。ただ、彼の論を真に受けて生殖活動をやめたグループは勝手に絶滅して、ベネターの言うことを聞かなかった人たちが生き残ってしまい、ベネターの理論は誰の記憶からも抹消されることになるだろう。だからこそ僕は自分が正しいと思う万人はできるだけ子孫を残すべきだと考えている。